鳰のような形をした僕の迂回路

My detour/diversion like a (little) grebe.

アド・アストラ


 

 アド・アストラを観た。君はアド・アストラを観てもいいし、観なくてもいい。

以下、致命的なネタバレがあるので閲覧注意だ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

!!!!!ネタバレあり!!!!! ネタバレあり!!!!!ネタバレあり!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  •  よかった点
    • 最初の軌道エレベーターのシーン、あまりの美しさに落涙してしまった。素晴らしい。
    • 月の描写:資源を巡る抗争、資本主義に彩られた空港、これらの描写は新鮮で、まことに素晴らしい。
    • 海王星軌道上でのシーン、海王星の表面、海王星の輪の美しさは素晴らしい。
  • 航空宇宙工学の観点からの疑問(この分野に関しては素人なので間違っているかもしれませんが)
    • 父親に声を届けるためだけにわざわざマクブライトを火星まで送る必要あった? 録音した音声を火星から送信するんじゃあダメなのか? それとも、マクブライトを宇宙軍の元に送るとか、別の目的があったのかな。
    • 火星から海王星まで、光速でも往復何時間もかかるのでは? マクブライトのメッセージ送ってすぐ宇宙軍の人たちが返事を期待する雰囲気になってるけど、さすがにせっかちすぎるでしょ。
    • マクブライトは火星から海王星まで八十日くらいで到達している(たしかに反物質ロケットだったら数日〜数十日くらいで海王星に着きそうな気がする)。一方、リマ計画で彼の父が海王星に到達するのにどれくらいかかったか。数年がかりという描写を見た気がしたけど、ぼくの間違い?
      • 合ってたとしたら、リマ計画以後に技術革新があって短くなったのか? ちなみにボイジャー2号は地球から海王星に着くまでに12年くらいかかっている。映画の雰囲気的に、マクブライトの父親もこれくらいの時間がかかって到達しているイメージを持っていた。
      • 間違っていて、リマ計画の時点で海王星まで八十日くらいで渡航できるなら、もっと調査のために海王星まで有人飛行していてもおかしくないのでは? リマ計画の失敗が、火星以遠への有人宇宙飛行を抑制していたということ? また、三ヶ月で帰れるなら、リマ計画の人たちも数年に一度地球に帰ったりしても問題ないのでは(費用はかかるが)? この場合、帰還をプログラムに組み込まなかった計画者が異常すぎる。
      • あれ? 本当は太陽系外に行こうとしてたけどトラブルで海王星付近に滞在してるって話なんだっけ? 俺にはなにもわからない……。
    • 反物質は要するに蓄電池みたいなもので、消費するものなんだけど、メルトダウンの意味がよく分からない。
    • 核反応を推進力に地球に帰ってくるのにかかった帰還はどれくらいだったのか。反物質ロケットでも八十日くらいかかっちゃうわけだし。外部の爆発の衝撃で有効な推進力を得られるのかというのと、狙った方位に行けるのかという心配が頭をもたげる。ある程度の方向転換は出来るだろうが……。
  • 物語
    • 父を太陽系の彼方へ行かせた。これは、マクブライトの中にあった父と宇宙への固執と孤独との決別を示す。できすぎたシーンだ、まるで夢のように。
    • 航空宇宙工学的な矛盾と考え合わせて、この映画の後半部分はすべてマクブライトの夢の中の話だろう。夢に入るタイミングにはいくつか候補がある。
      • 火星で父親に自分の言葉で語りかけるシーン。あそこでマクブライトの心拍数が80を超えたことが、現実と夢を区切っている。
      • 火星でケフェウス号に入るシーン。あんなにロケットの近くにいて無事なもんなのか?俺はこの分野に関しては素人だからよく分からない。あと学者たちが銃を持って有無を言わさず殺しに来るというのも現実離れしている。学者は対話が好きなんじゃないのか?
  • 総評
    • ドラマを優先した印象。宇宙でやる意味あるのか? 地球でやれ。西部劇にしろ。
    • この映画に宇宙はあるが、そこに物理はかよっていない。それにより直ちに作品を否定するものではないが、宇宙の美しさと壮大さを都合よく借りた、いびつでピクチャレスクな作品だ。

ミヒャエル・ハネケの映画

友人と自宅でミヒャエル・ハネケの映画を7本連続で視聴して完全に発狂したのでネタバレ込みでそのときの感想を記録しておきます。

 

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愛、アムール 

愛、アムール [DVD]

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  • 場面のつなぎ方がすごすぎる。「撮らない」という手法:決定的な場面を撮らずに次の場面が始まって、視聴者にその決定的な場面を想像させるということ。映画を見終わってしばらくするとその存在しない決定的な場面をありありと思い出してしまうほど、ハネケは視聴者の想像力につけ込んでくる。ハネケは視聴者の脳を使って映画を作っている。悪辣極まりない。俺の脳を盗むのを今すぐやめろ。
  • 家の中のシーンしか存在しない。カメラの位置も固定されていて、閉塞感がすごい。結末、エヴァがすべての扉が開かれた家を歩くシーンで、こんなに開放的な家だったのかと驚かされる。
  • 自分が自分ではなくなってしまうというアンの恐怖に実感がこもっている。これはアンを演じた人がヤバすぎる。そして、唐突にアンの自我が一気に失われた後の場面(エヴァとの会話が成立しなくなるシーン)をねじ込んでくるあたりは白眉で、ハネケはこうやって今回も現実と虚構のリアリティを越境してくる。
  • ジョルジュがアンを殺すシーンの唐突さが素晴らしい。現実にそういうことが起きるときは、部外者からみればいつも唐突に見えるのだろうと思わされる。これがぼくらがリアリティと呼んでいるものの一端なんだよな。
    • いかにも映画的な、作劇法とか演出のわざとらしさというものをハネケは嫌う。ここだけは唯一ハネケと気が合うところだ。

 

セブンス・コンチネント 

セブンス・コンチネント [DVD]

セブンス・コンチネント [DVD]

 

 

  • 主人公一家とわれわれ視聴者との間のディスコミュニケーションである。これが作中人物同士のディスコミュニケーションにならないという点に、長編デビュー作ならではの作家性が見られる。ハネケは、作品を鑑賞することによって視聴者にはたらく作用に執着する。ハネケ作品は視聴者を内包しようとしてくる。ここからファニーゲームに至るまで、この執着は一貫しているように思える。

 

ベニーズ・ビデオ 

ベニーズ・ビデオ [DVD]

ベニーズ・ビデオ [DVD]

 

 

  • ハネケの映画はいつもそうだが、撮影者 - 被撮影者の関係にたいへん自覚的な映画だ。撮影者であるベニーは、同時にハネケによって撮影されている被撮影者でもある。これによって、視聴者であるわれわれは、ハネケによって撮影されたベニーを鑑賞する存在であると同時に、ベニーが撮影した映像をベニーたちとともに鑑賞する存在でもある。作中に視聴者であるわれわれが取り込まれる。
  • 他者(視聴者を含む)のベニーに対する共感できなさが際立つ。ベニーとその両親とのディスコミニケーションは素晴らしい。ちなみにベニー自身も少女を殺害した後に突然頭を丸めるなど、明らかに動揺している事がいちおう伝わってきて、この中途半端に分かるという宙吊り感がまた嫌らしい。ベニーを簡単に異常者にカテゴライズすることは許されない。ファニー・ゲームでパウルたちが一見して論理的に会話しているように見える恐怖と根は同じかもしれない。彼らにも論理と合理性があって、もしかしたらそれが理解できるのかもしれないと思えてしまうギリギリの境界を渡らされるのである。

 

ファニー・ゲームおよびファニー・ゲーム U.S.A 

ファニーゲーム [DVD]

ファニーゲーム [DVD]

 

 

ファニーゲーム U.S.A. [DVD]

ファニーゲーム U.S.A. [DVD]

 

 

  • パウルたちとジョルジュたち一家とのディスコミュニケーションである。これはまるでパウルたちがビデオゲームのプレーヤーであるかのようなディスコミュニケーションであり、まさにパウルたちが作者ハネケおよびわれわれ視聴者と同じレイヤーにいるということの明け透けな表現である。
  • クライマックスの巻き戻しのシーン。これによってはじめて、物語の序盤からパウルは失敗する度にゲームのリトライのように巻き戻しながらこの結末までやってきたのだろうかと想像させられる。ループものの提示の仕方としてスタイリッシュだ。
  • これほど残虐な描写を作ることが出来るということの驚異を、映像という媒体の驚異を、視聴者に見せつける事が本作の目的の一つであるように思える。これがあくまで虚構であることをメタ描写(パウルのカメラ目線、巻き戻し)で執拗に思い出させることで、作者の狙いを親切に教えてくれている(そうじゃないとさすがにセンセーショナルに過ぎる、というハネケなりの手心なのかもしれない)(俺は絶対にハネケを許さないからな)。
  • オリジナル版の方が演技が切実というか、犠牲者の鮮烈な悲壮感が感じられる。USA版は、悪い意味での映画っぽさを感じさせた(でもこの「映画っぽさ」は、多分作品に内在する者ではなく、われわれ視聴者の頭の中に内在するものかもしれない)。
  • アンが逃走中に最初の車をやり過ごして、二台目の車がやってくるシーン。ハネケの悪辣さがにじみ出た希有なシーンだ。
  • ハネケは映像という表現手法に対して自覚的で、映像表現そのもののレイヤーで映画を作っている。ハネケは、われわれが住んでいる現実世界から逃れられないタイプの作家だろう。ハネケに王道ハイ・ファンタジー映画は絶対に撮れない。悔しかったら撮ってみろよハネケ。

 

隠された記憶 

隠された記憶 [DVD]

隠された記憶 [DVD]

 

 

  • 犯人から送られてきた映像を鑑賞するとき、ジョルジュたちとわれわれ視聴者は同じレベルにいる。ベニーズ・ビデオと同様に、視聴者を内包した映画である。
  • 結局ジョルジュにビデオを送りつけてきた人物が何者なのか、作中では回答が用意されていない。でも、この映画を最後まで見れば自ずと解ってくることなのだが、犯人は作中人物ではないのである。本当は、監督であるハネケ自身が、ジョルジュにビデオを送りつけているのである。視聴者を内包した映画であるならば、作者をも内包していると解釈しても怒る人はいないだろう。
  • つまり本作に於いて、ディスコミュニケーションの対象は作中に存在しない。この点はハネケの他作品に対して新奇な点と言える。

 

 

ハッピーエンド 

ハッピーエンド(字幕版)

ハッピーエンド(字幕版)

 

 

  • 今回見た作品群で一番印象が薄い。印象が薄いと言うことは、ハネケ作品においてはいい映画と言うことなのかもしれない。

天気の子を観た。天気の子を観ろ。

以下所感。ネタバレ含む。

 


映画『天気の子』予報

 

  • ボーイミーツガールの類型をド直球でやりつつ、しかし一般的に望まれる正しい終わり方を完全に無視して振り切っていく傍若無人な感じにやっぱりどこか新海らしさがにじみ出ていて最高。社会のいわば常識を壊して犠牲にした上で、でもこの世界ってはじめから狂ってるんだよね、とそれを肯定して生きていく姿勢が最高に愛おしいんだよな。これを少年少女たちの視聴と興行が期待される夏休みアニメでぶちかまして一切言い訳せずに開き直るのやってて絶対めっちゃ気持ちいいでしょ。
  • エンタメとしての完成度は『君の名は。』に劣るんだと思う。でも個人的に『君の名は。』の出てくる要素全部が物語に回収されて収まるところに収まる感じが逆に引っかかっていたので、この荒削り感が愛おしいんだよな。
  • 東京の汚いところの描写とか警察に追われる状況は、これまでの新海作品に出てこなかった部分だと思う。面白いのは、ネカフェに泊まったり東京の怪しい街に囚われることを、穂高たちはことさらネガティブに感じていなさそうな点。これは、穂高たちが当初雨が降り続くことを(須賀の義母の雨に対する台詞と相反して)ことさらネガティブに捉えていないことにもつながっている。この大人たちとの断絶が、世界を犠牲にする決断の正しさの根拠になっている。
  • 過去作よりも内省が弱まっており、キャラクターと世界との外的なインタラクションが物語の原動力になっているように思う。これは、穂高と陽菜以外のキャラクターの存在感が増している(夏美の就活シーン、須賀と娘の関係が印象深い)ことにつながっている。過去作と異なり、群像劇を志向しているように思える。東京の汚いところの描写とともに、新海の新しい展開や挑戦の意思が見て取れた。
  • 神的なものによる物語解決の説得力は、『君の名は。』と同様に弱く感じる。この部分はどこかに見落としたヒントがあるかもしれないので、次回視聴時に確認したい。
  • 君の名は。はぼくを救わなかったが、天気の子はぼくを救ってくれた。ありがとう。

京都アニメーションのこと

 ぼくにとって京都アニメーションとそこに属する人たちは、こう書くのもおこがましいのだが、ともに芸術と文化を高めて世界を豊かにしようとしている同胞のような存在だった。ぼくは彼らの作品にふれるたび、こころを救われ、創作の刺激を与えられてきた。彼らがこんなに面白いものを作っている、ぼくも面白いものを作りたいと素直に思えた。彼らとは会ったことも話したこともないのに、ぼくにとってはとても近しい人たちだったのだと思う。

 芸術だとか文化のことを抜きにしても、人々がこれほど理不尽に傷つけられるのはあまりにやるせない。今回の出来事を思うと、胸が締め付けられるように苦しい。ほぼ無関係な人間であるぼくでさえこうなのだから、被害に遭った人たちとその周りの人たちの苦しみは察するにあまりある。

 同じように芸術と文化を愛する者として、ぼくは彼らの作品上の達成を、できるだけたくさん発見して、血肉にし、周りの人たちに伝えたいと思う。ぼくは、せめて自分の同胞たちの意志と情熱だけでも守りたいと思う。これはぼくの祈りだ。この気持ちは絶対に忘れたくないので、こうしてめったに更新しないブログへ書き残すことにする。

雨月物語SF『雨は満ち月降り落つる夜』@文学フリマ東京 2019/5/6

2019/5/6の文学フリマ東京(ス-40)にて頒布予定の雨月物語SF合同誌『雨は満ち月降り落ちる夜』に短編小説を寄稿しました。

 

www.sasaboushi.net

 

雨月物語』の二次創作SF合同誌なのですが、『雨月物語』を知らなくても楽しめる短編集に仕上がっていますので、SF・幻想・怪異などのワードに興味のある方は即買いです!ぼくは「菊花の約」をベースに、温泉旅館で『雨月物語』の二次創作を書こうとしている人物を語り手とした可能世界ナラトロジー時空飛び地幼なじみ貸切露天風呂義兄弟廃城跡SFを書きましたのでよろしくお願いします!

リズと青い鳥のこと

リズと青い鳥の感想を箇条書きで記しておきます。

liz-bluebird.com

  • 最高の一言に尽きる
  • まず演出の密度が濃過ぎて付いていけない。1/10倍速で見せてくれ
  • 劇伴、音響が最高。冒頭のぎこちない音の断片(聲の形を彷彿とさせる)と、少女たちの靴音が混ざり合う感じ、始まる前のふわついた雰囲気、演奏前のステージでチューニングが始まるあの感じ。そこから傘木希美がやってきて徐々に音楽が紡がれていく、果てしない高揚感
  • 鎧塚みぞれが登場してから傘木希美と2人で部室に入るまでに丸々5分間は費やしており、この時点で画面は情報の洪水めいている。必ず傘木希美の後を付いていこうとする鎧塚みぞれと、間違いなくそれを知っていて言葉少なに歩く傘木。急に階段の手すりから笑顔をのぞかせる傘木と、それを眩しそうに、驚いたように見やる鎧塚みぞれ。踊り場に出た鎧塚は階段の上を振り仰ぐが、カメラは階段を斜めに撮る(視点の主である鎧塚の不安が垣間見える)ばかりで傘木の足を画面の端にかろうじて捉えるのみ、階段の上は陽光が充ちて明るく、その光の中へ弾むように歩き出す傘木(この瞬間の傘木は間違いなく”鳥”だった)をやはり眩しそうに眺める鎧塚みぞれ。部室の鍵を差し込む鎧塚は一拍おいてから鍵を開ける、鍵を開けることに億劫なように、ともすればこのままドアの前で日が暮れるまで佇んでいたいと思わせるほど長い”一拍”ののち、開かれた部室に傘木は踊るようにくるりと回転しながら入っていく。これまで何度も繰り返されてきただろう二人の朝の情景、その日常に埋没して見えないはずの決定的な一回性が、ここでは痛ましいまでの緻密さで描き出されている。それがいずれ夢に回顧されるだけの幻となることが運命付けられていることを、この日常は、痛切に物語っているのだ。
  • 二人で絵本を眺めながら、傘木に寄りかかろうとする鎧塚みぞれの髪が傘木の肩に触れるか触れないかのあわい、不意に立ち上がる傘木。お前は絶対にそのことをわかっていて、それでギリギリのところでたまらず立ち上がったんだろう? オレにはわかる。傘木、お前はこの時、鎧塚に踏み込まれることがなぜだか無性に怖くてたまらなかったんだろう? オレにはわかるんだよ、傘木。
  • 時折挿入させる抽象的な水彩、鎧塚みぞれの心象風景。
  • 鎧塚みぞれの、不安を感じた時に髪に触れる仕草。傘木希美の、気まずい時に後ろに組んだ手を遊ばせてしまう仕草。鎧塚みぞれの、気まずい時に手元の作業をなんとなく止めずに続けてしまう仕草。すべてが胸に刺さる。そうだ、この映画には確かに、鎧塚みぞれと傘木希美の"匂い"と"体温"がある‬。オレはその瞬間北宇治高校の周りを満たす空気になって、彼女たちの匂いと体温を、確かにこの身のうちに内包していたのだ。オレはいま、自らのうちから失われてしまった彼女たちの体温を、こうして探し続けている…。
  • フグの水槽に撒き餌する鎧塚みぞれ。フグには毒がある。俺にはわかるんだよ、鎧塚。
  • 対人関係において比類なく正しい人間のように描かれていた傘木が、音大を受けるという鎧塚みぞれに対してのみ垣間見せる焦りと嫉妬。この映画のプロット上のキー描写だ。
  • 自分を青い鳥に見立てて言う「青い鳥は、会いたくなったらまたリズの所に帰ってくればいいんだよ」「でも、ハッピーエンドじゃん?」の傲慢さなんだよ。鎧塚との間に横たわる感情の不均等さによってアイデンティティを補う自分の醜悪さを自覚しながらもその精神的依存から抜け出せない傘木の自意識。
  • それにしても、一度部活から離れた傘木が練習を重ねてオーディションを突破したという事実だけで涙が出てしまう。この映画が始まる前から、傘木は鎧塚を必死に追いかけてきたのだ。しかもそのこと自体を一切説明せずに、過去を省みるシーンもなく、現在の描写だけで見事に描き切っている(特に剣崎の涙が傘木の努力を遡及的に裏付けた)。精確無比な描写のバランス感覚。こうして、傘木を追いかける鎧塚という構図から、鎧塚を追いかける傘木という裏の構図が徐々に浮き彫りにされていく。
  • 鎧塚が剣崎をプールに誘ったエピソードは、傘木へのあこがれを昇華して鎧塚が少しずつ成長していることを示しているし、剣崎はかわいい。
  • 自分が傘木に対して抱いていた感情と、傘木が自分に対して抱いていた感情が対称だったことに気付いた鎧塚の心象風景はオレンジと青が渾然となっていた。これは明らかに童話の結末の中においてリズ(オレンジ)と青い鳥が離れていても結ばれている:jointことを象徴していて、鎧塚がたどり着いた”答え”を明確に示している。
  • 鎧塚みぞれが羽ばたいた第三楽章。究極の劇伴。この映画を劇場で観なければならない最大の理由。
  • 自分との出会いが嬉しかったと告げられ「ゴメン、よく覚えてない」という傘木。しかし理科室を後にする傘木が思うのは、自分が鎧塚を誘った日の克明な記憶だ。そうだ、傘木は理科室で意図して嘘をついた。そしてこの嘘は鎧塚への依存から脱却する意思であり、青い鳥を羽ばたかせたいという意思なのだ。そしてなにより、傘木にとっても鎧塚との出会いが特別でかけがえのないものだったということが示されるこの回想(そもそもこの映画におけるカメラは基本的に傍観者に徹しており回想シーンは特別な位置を占めている)は、この映画を観る者に与えられた救済なのだ。
  • 「みぞれのオーボエが好き」こそが傘木の内で鎧塚を囲っていた鳥かごを開けた鍵に他ならない。こんなに簡単に開けられたんじゃん、と吹き出して笑う傘木。歪だが対称的だった依存関係からの脱却。
  • この映画の結末、一見して鎧塚と傘木はお互い決別:disjointしたように見える。傘木に気持を伝えた鎧塚の言葉の中に「希美のフルートが好き」という言葉はなかった。鎧塚に伝えた傘木の気持は「みぞれのオーボエが好き」だけだった。この非対称が決別のように思え、確かにその後傘木は受験勉強を始める。しかし、これはぼくが思うに決別ではない。二人は自然な形に収束し、結合:jointしたのである。互いが互いに依存することをやめ、互いの気持を確かめあい、互いの道を歩み始めたということだ。それでも同じコンクール、高校最後のコンクールを目指す二人の道は随所で交差している。交差する道を、時おり同じペースで歩くことができる。それは全面的に許されている。この映画の結末で家路につく二人の歩みはことに感情を揺さぶるシークエンスだ。これは、この映画の冒頭で傘木がリズと青い鳥に対して提案したハッピーエンドの形にほかならないではないか。お互いに違う世界を目指し、違う世界を生きつつも、つかの間同じ道、同じ時間を共有すること。それは人間一般二人が苦楽を共にし、共に長く生きていくということに他ならない。二人は自然な形に収束し、こうして人生のパートナーとして結合:jointしたのである。

 

(ここから二回目視聴時感想)

  • 自分を青い鳥に見立てて言う「青い鳥は、会いたくなったらまたリズの所に帰ってくればいいんだよ」「でも、ハッピーエンドじゃん?」の傲慢さなんだよ。鎧塚との間に横たわる感情の不均等さによってアイデンティティを補う自分の醜悪さを自覚しながらもその精神的依存から抜け出せない傘木の自意識。それが理科室での「あたし、みぞれが思うような人間じゃないよ」に繋がっている。
  • 先生に音大を勧められたと鎧塚に告げられたときから、自分が青い鳥ではなくリズなのだということに決定的に気づいてしまった傘木は……プールに「わたしも友達誘っていい」という鎧塚に対する一瞬の表情の痛々しさがたまらないんだ……
  • 終盤前まで二人のボタンのかけ違い感がそこはかとなく示され続けるこの恐るべきバランス感覚。ここが完璧に表現されているからこそ、理科室の後の二人の、ようやく互いに向き合うことができたときのカタルシスが生まれる。
  • 例のオーボエソロでカメラのピントがずらされるのは傘木の涙による。
  • 鎧塚に自分との出会いが嬉しかったと告げられ、「ごめん、それよく覚えてないんだよ」という傘木。しかし理科室を後にする傘木が思うのは、自分が鎧塚を誘った日の克明な記憶だ。そうだ、傘木は理科室で意図して嘘をついている。そしてこの嘘は鎧塚への依存から脱却する意思の表れであり、青い鳥を羽ばたかせたいという意思なのだ。そしてなにより、傘木にとっても鎧塚との出会いが特別でかけがえのないものだったということが示されるこの回想は、この映画を観る者に与えられた祝福なのだ。おそるべき幸福感がこのシークエンスのあと味となってぼくの胸の中でアイスクリームのように溶けていく……
  • 「みぞれのオーボエが好き」こそが傘木の内で鎧塚を囲っていた鳥かごを開けた鍵に他ならない。こんなに簡単に開けられたんじゃん、と吹き出して笑う傘木。歪だが対称的だった依存関係からの恒久的な脱却。ここで傘木は鎧塚の才能に対する嫉妬心を、自分の自意識の醜さをさらけ出したのだ。そしておそらくここで鎧塚ははじめて傘木が何を欲しがっていたのかを知ることになったのだろうとも思う。
  • つかず離れずの二羽の鳥。
  • 「あたし、みぞれのオーボエを完璧に支えるから。もう少しだけ待ってて」は、理科室での三回目の「ありがとう」の猶予の続き。「わたしも、オーボエ続ける」この会話は二人の未来を示唆しているように思えてならない——joint

『おやすみ警報』ふかふか団地

第二十五回文学フリマ東京にて入手。4人の作者による短篇4本の合同誌です。以下、おのおの感想を書きます。

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 (表紙がキュート)

 

「Good Morning Glory」伝右川伝右

子供のころの一時期だけ会ってそれきりの友だちの記憶というのはけっこう後々まで印象に残っていて思い起こす都度みずみずしい憧憬を伴うんだけど本作にはそういう一夏の思い出のキラキラ感がしっかり表現されていると思うし、そこに人間が出来たやさしいおばあちゃんが出てくるもんだから心が温まらないわけがないんだよなあ。祖母:孫娘の関係性に脆弱性があることに気付かされてしまった。

 

The Queen Is Dead」尾瀬みさき

去年の『ニュータウン』に寄稿されていた短篇もそうだったけど、作者が書く主人公とヒロインの掛け合いがめっちゃ好きなんですよね。で本作のヒロインの設定はぼくの脆弱性を完全に突いてきていてぐおお……とかくああ……とか変な声でうめきながら読んだ。自意識過剰系の語りはむかし佐藤友哉とかを好んで読みまくってたのでスッと読めた。結末にかけては「ん?」なんだけどまあ「ん?」な部分も含めて好きです。

 

「ペーパードライバー短編集」さんらいと

「乱脈な気孔」が好きかな。ビール飲みながら読んでいたせいかもしれないけど所々でくすっと笑わせに来る。こういう読者にとっては日常的なことを大仰な語りで語ることでコミカルな印象を出してるんだと思うんだけど成功していると思う。とはいえ、その大仰な語りが鼻につかないというとそんなこともなかった。

 

「夢のとなり」愛宕

これが一番好き。設定とプロットを丁寧に織り込んでいって結末できちんと高ぶらせてくる。というかぼくは丸岡さんに完全に感情移入していて丸岡さんの気持に完全にシンクロしてしまって最後は普通に泣いた。いやぼくは声優にあまり興味がないので、そういう表面的なシンクロではなくて、もっとね、根っこの部分でシンクロさせられてしまったってワケ。欠点を上げるとしたら冒頭で設定を陳列しているところが退屈だった点か。とはいえこれは痛切な救済の物語でありオレたちの新しいアンセムだ。