鳰のような形をした僕の迂回路

My detour/diversion like a (little) grebe.

人間の意識と慣れ

《慣れ》こそがヒトの意識の本質であるとエルヴィン・シュレーディンガーは著書『精神と物質―意識と科学的世界像をめぐる考察』において論じていたが、まったくその通りだと思う。
同じ事象が繰り返される度にそれに対する意識が薄らいでいく。これが《慣れ》だ。たとえば、生まれて初めて海を見たときの気持ちは海を見続けていく過程でどんどん薄まっていく。海は海という概念とともに対象化/抽象化され、海という概念は「青」「魚」「大きい」など他の概念とともに脳内の引き出しにしまわれる。
この習慣化なしにヒトの発展はなかった。たとえば数学とはまさしく抽象化の手段であるし、海の例で見れば、海の美しさにいちいち心奪われているばかりでは海を科学することなどできはしないのである。
しかし一方でこの習慣化がヒトの感性を次第に鈍重にしているという事実も忘れるべきではない。
詩人や画家とは抽象化される前の事物をありのままに捉え、また抽象化された概念を用いて、それを過不足なく表現する術に長ける者のことを指している。