鳰のような形をした僕の迂回路

My detour/diversion like a (little) grebe.

グッドラック―戦闘妖精・雪風 / 神林長平

戦闘妖精・雪風(改) (ハヤカワ文庫JA)

戦闘妖精・雪風(改) (ハヤカワ文庫JA)


グッドラック―戦闘妖精・雪風 (ハヤカワ文庫JA)

グッドラック―戦闘妖精・雪風 (ハヤカワ文庫JA)


前作ともども非常に楽しめた。二作目に当たる『グッドラック』に入ってからというもの主人公である深井大尉の属する特殊戦メンバーたちの個性も非常に魅力的に感じられるようになり、一気に読み終えてしまった。また、メカの描写も偏執的なまでに仔細に渡っており、戦闘機好きにはたまらない。特に空戦の臨場感は圧巻だった。しかしこの作品はそういったフェティッシュをみたすためだけのものであるはずもなく、むしろこれらは作品のテーマに付随する要素でしかない。
この作品では、未知の異星体との闘争のなかで、自分が闘っていることの意味を主人公たちが内省的に思索していく過程が非常に鮮明に描かれており、緊迫した目まぐるしい戦闘状況がこれをまったく退屈させずに読ませてくれる。これはとても思弁的なSF小説で、機械と人間の相克というよりはもっと大掛かりなもの、すなわち自分という存在と他者との関係性について述べている。機械知性体に感情はあるのか、意識はあるのか、また我々は他の人間のことですら完全には理解できないのに、自分たちと異なる生命のことを少しでも理解することができるのか。そういった哲学的な命題へのアプローチの仕方の一例を、この小説は提示してくれている。
紆余曲折の後に機械知性体「雪風」が意識(あるいは意識と似ていても自分たちには原理的には理解できない何らかの概念)を持つと考えるようになった深井大尉は、作中で雪風について以下のように語っている。

雪風に意識があるかないか、というのは、そんなことはどうでもいいんだよ、桂城少尉。雪風があたかも意識を持っているかのように行動する、というのが問題なんだ。その理由はきみが言った通りかもしれないし、それを間違っていると言うつもりはおれにはない。重要なのは、雪風は我々には理解不能な存在だ、ということだ。きみも頭ではわかっているだろう。そのとおりなんだ。雪風は、こちらのうかがい知れない《なにか》を持っている。それは意識かもしれないし、意識になぞらえられる無意識的な模倣機能なのかも知れないし、人間とは全く異質な機械意識なのかもしれない。しかし、それがなんなのかは、どうでもいいことだ。
重要なのは、その理解できない雪風の《なにか》とコミュニケートすることだ。その《なにか》こそが雪風の本質なんだ。

これは異星体にも同様に言えることであり、極論を言えば自分以外のすべての存在に対して言えることなんだろう。
乾いた筆致で綴られる無機質な世界に生きる病的なまでに冷徹な人間たちの中に、しかし彼らもたしかに自分と同じ人間であるという親近感を抱いてしまった瞬間、僕は作者の意図にまんまとハマってしまったのかもしれない。