鳰のような形をした僕の迂回路

My detour/diversion like a (little) grebe.

レイモンド・カーヴァー『頼むから静かにしてくれ』

頼むから静かにしてくれ〈1〉 (村上春樹翻訳ライブラリー)

頼むから静かにしてくれ〈1〉 (村上春樹翻訳ライブラリー)


頼むから静かにしてくれ〈2〉 (村上春樹翻訳ライブラリー)

頼むから静かにしてくれ〈2〉 (村上春樹翻訳ライブラリー)


レイモンド・カーヴァーによるこの素晴らしい短編集は、僕にとってはまさしく宝石箱のようなもので、きっとこれからもずっと読み続けていくことになるんだろうなと思う。しかし宝石箱とは言うものの、ここにはきらびやかに自己主張するいかにも可憐な宝石なんて一つも入っていない。ここにあるのは、どこまでも深い色調をたたえた日常の悲しみだったり、のっぴきならない憂鬱に囚われてしまった人間のわびしさだったりする。ありふれた日常に潜む、荒涼とした物悲しさ。それはもしかしたらサリンジャーが言うところの"Squalor"なのかもしれないし*1、あるいは僕らが生きているということそれ自体の悲しさなのかもしれない。救いのない状況に追い込まれたとき人間はどうなってしまうのか。そしてもしもそんな状況に立たされたとき、僕らはいったいどうすればいいのか。たった一瞬の空気を瑞々しく文章に切り取ることによって、カーヴァーは、こんな疑問を僕らにまざまざと突き付けてくる。波紋一つ立てずに、それでいて雄弁に。

表題作を読んで僕は泣いた。そのあまりのみじめさに、僕はすっかり耐えきれなくなってしまったのだ。一作の短編小説にここまで打ちのめされてしまったのは、実に久しい体験だった。

*1:エズミに捧ぐ――愛と汚辱のうちに ( For Esmé with Love and Squalor )より。Squalorは野崎訳では"汚辱"と訳されている