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鳰のような形をした僕の迂回路

My detour/diversion like a (little) grebe.

入間人間『電波女と青春男』

小説

電波女と青春男 (電撃文庫)

電波女と青春男 (電撃文庫)


この作品について語ろうとするとき、『AURA ~魔竜院光牙最後の闘い~ (ガガガ文庫)』がよく引き合いに出されているみたい。両者ともに扱っている題材が同じで、サブカルに対するメタ的な視点を持った作品なので、当然似通った点も多くなってくる。しかし実際読んでみると、これら二作品はお互いに結構違うことをやっているというのがわかる。

未成熟の人間の特徴は、理想のために高貴な死を選ぼうとする点にある。これに反して成熟した人間の特徴は、理想のために卑小な生を選ぼうとする点にある。

これはウィルヘルム・シュテーケルの例の言葉だが、これと照らし合わせてみると少しわかりやすいかもしれない。
まず両作品におけるヒロインたちというのは、俗に言うところの中二病患者であり、前者の未成熟な人間の特徴を持っていると言えそうだ。なぜそうなったのかという動機付けはされていたりされてなかったりするが、今は物語自体について話しているわけじゃないので、それはあまり重要ではない。
一方これに対して主人公たちの立ち位置はどうなのかというと、これが両作品でまったく違っているのである。『AURA』の主人公佐藤一郎は、ひたすら普通の生活を追及するという点において後者の「成熟した人間」の特徴を持っていると言える。幸せになるためには幸せのハードルを下げなければならない、つまり理想を成就するためには妥協が必要不可欠である、と高校生のくせに悟りきっちゃっているわけである。その一方で『電波女と青春男』の主人公丹羽真は「青春ポイント」なるものに準拠した、彼自身が望む青春を追及していく。要するに彼の青春は、前者における「未成熟な人間」が抱きがちな妥協のない理想そのものだ。だから『AURA』の佐藤一郎はヒロインの佐藤良子を物語の中で成熟させることに成功したが、『電波女と青春男』の丹羽真はヒロインの藤和エリオを成熟させたということには決してならない。
丹波真の興味の対象として「深海」というキーワードが作中によく出てくる。これに対して藤和エリオは「宇宙」に救いを求め、その理想を決して妥協させることなく追求しようとする。「深海」と「宇宙」は、ともに未知の世界であるという点において似通ったものである。藤和エリオは空を飛ぼうとして失敗し、結果的に丹波真は彼女とともに海へ落ちた。これが「宇宙」から「深海」への移り変わりを意味しているのであれば、丹波真は藤和エリオを、単に新しい「妥協しない理想」へと引きずり込んだだけということになるのではないか。だから二人は、まだ成熟への道を歩きだしてすらいないのではないか。
今後の展開が楽しみではある。