読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

鳰のような形をした僕の迂回路

My detour/diversion like a (little) grebe.

Vocaloidのこと

雑感

以前「音楽と歌詞の関係」で書いたとおり、歌詞は音楽に付随するものだとぼくは思っている。
人声を楽器と捉えれば、歌詞が意味することがらは音楽と直接は関係しない。言葉とは人間の頭にある概念と結びつくべきもので、それは聴覚によって受容されるが、聴覚を楽しませるためにあるわけではないのである。音楽と歌詞を同時に受け取ることで生じる効果について否定しようという気はまったくないけれど、純粋な意味での音楽と歌詞を分離して考えたいという気持ちは思いのほか強い。

人の発声機構は管楽器(中でもリード楽器)に例えられることがあり、管楽器に近いと思っている人は多いかもしれない。管楽器と人声の共通点は、発音体を作動させるのが呼気流であることと共鳴器を変形させる点である。ただし管楽器の共鳴器変形は音高調節のものであるのに対し、人声の場合は音波変形のための機構で、両者はかなり異質なものである。また、音高調整のために発音体を変形させる点は弦楽器に類似し、輪状甲状筋などを弦楽器のペグ(糸巻き)に例える人も多い。人声の共鳴器のように多種の音波を生む機構は他の楽器には見られないものであり、ダイレクトに波形を変形させる点からするとエレクトリックギターのエフェクターが類質の装置としてあげられるだろう。あるいは多用な音色を扱うという点をみるならば、パイプオルガンのストップ(音栓装置)やシンセサイザーが、人声に最も近い特性を持っていると言える。シンセサイザーとしてのVocaloidは、人声を真似るためにうってつけの楽器であった。

初音ミクは、そのキャラクター性を抜きにして考えると、単に人の声に近い音を出すことができるという点よりも、それが言葉を持っており、そのために独自の倒錯した特性を備えた楽器として機能したという点にこそ最大の新奇性があったのだと考える。日本語の歌手には日本語特有の発音方が、英語圏の歌手には英語特有の発音法があって、これらの違いは、それぞれの歌手を人声を操る演奏家と捉えた場合、楽器の特性の違いに相当するだろう。たとえば日本語でのラ行の発音と英語圏での「r」「l」の発音の違いが、それぞれの人声に楽器としての特性を与えているのである。そして初音ミクという歌手は、たとえ彼女が日本語で歌っていたとしても、新奇な特性を持った楽器として捉えられる。なにしろ彼女は一種のシンセサイザーであって、何らかの母国語に基づいた特性を持つ人声を操っているわけではないからだ。言語の違いからくる特性の違いが、楽器自体の違いからくる特性の違いとまぜこぜになるという倒錯。だからそういう意味において、彼女は日本語を、そして英語や他のいかなる言語をも、話すことはできないのだ。
あるいはその欠落が、初音ミクという楽器の一つの魅力となっているのかもしれない。