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鳰のような形をした僕の迂回路

My detour/diversion like a (little) grebe.

朝吹真理子『流跡』

小説

流跡

流跡


久しぶりにすごいものを読んで興奮してます。EnJoeToh氏が読書メーターで「これはすごい」と言ってたので、そんなにすごいものなのかと思ってさっそく買って読んでみたところ、なんとこれがすごかったんですね。ネタバレを気にしないで書きます。

去ね、去ね、去ね。何度意識を失おうとしてもいっこうに明瞭なまま。いったいいつまでこうしているのか。この身体が、やっぱり死んでいるのか教えてほしい。しかし誰もいない。ぼんやり空を見る。灰色の光が葉と葉の合間から射しこむ。雲が魚腹にも流れてゆくことをこばんだ東雲にもみえる。苔むした目からそれがみえる。いったいどうして。この身体をみているのが目なのかもわからない。この目がみえているのかもわからない。この目が誰の目かもわからない。死んでいないし生きていない。夜も朝もだいぶ遠いようである。

こうした調子で終始ぼんやりとただよう語り手が、みずからの置かれた状況を二転三転させながら、なにかしらの魅惑的な幻想をつぎつぎと綴ってゆくのですが、ともかく落ち着き払った文章が印象的で、これがデビュー作であるというのはちょっとした驚きです。
さて、めくるめく読書を終えてふと考えたのは、この小説の語り手についてのことです。この小説の語り手には輪郭というものがなく、はじめ読者だったものがあるときは作者であったり、男だったものが女になったり、しまいには人ではなく「もののけかおにか、猫になったほうがよかった」と零したりします。本文の言葉を借りれば、この小説では「ひとやひとでないもの」との区別があいまいなんです。
思うに流跡とは、ひとがひとになる前、もののけもののけになる前、おにがおにになる前の「もの」どもの流れた跡なんじゃないか。つまり「ひとやひとでないもの」の記憶のようなものが、この小説の語り手の正体なのではないでしょうか。冒頭の文章が示唆的です。

細胞液や血液や河川はその命脈のあるかぎり流れつづけてとどまることがないように、文字もまたとどまることから逃げてゆくんだろうか。綴じ目をつきやぶってそして本をすりぬけてゆく。流れてゆこうとする。はみだしてゆく。しかしどこへ――

「ひとやひとでないもの」を書きつけようとしても、それはたえずすりぬけてゆくし、それ自体を眺めようとしてみても、読みとろうとしてみても、それはとどまることなくはみだしてゆくのでできない。われわれの前に残されるのは、そのものがたしかに流れていたという痕跡だけであって、だからこの小説はこれ自体が、あるひとつの流跡だったのではないでしょうか。