鳰のような形をした僕の迂回路

My detour/diversion like a (little) grebe.

草稿 A

草稿 A.1

疲れた僕は家に帰るとシャワーを浴びてビールを呑んでインターネットに興じています。昨日の疲れた僕も、家に帰るとシャワーを浴びてビールを呑んでインターネットに興じていました。きっと明日の疲れた僕も、家に帰るとシャワーを浴びてビールを呑んでインターネットに興じることになると思います。時間はね、みなさん、時間は一本の矢のようにまっすぐ進んでいるとお思いでしょうが、そうとは限りません。特にこの疲れた僕のように、周期的に経めぐる体験のなかに身を置く意識にとって、時間は、もっと奇怪な働きをみせる場合があるのです。たとえば、今日の自分が、昨日の自分を生きるということが、時おり起こるのです。時間の流れが、突如として僕たちの過去の体験を、現在の現実として連れ戻すという事態が、起こりうるのです。こうした時間の特殊な振るまいは、疲れた僕らを時間の外へ、ある別の世界へ導きます。この時間の切断を自覚しない人にとって、日々はいかにも単調で、退屈なものに映るに違いありません。 

 

草稿 A.2

「緑の海」をテーマに15分で小説を書けと言われたので、わたしは以下のように書きはじめました。

多重債務に追われて、気付いたら小さな舟で海を進んでいる。記憶がたしかであれば、わたしは4人目の私だ。

1人目の私はシキシマミノリといって、北海道南西沖地震のときに行方不明になった。彼女は当時14歳で、粗暴な父親から逃げるようにして消息を絶ち、そのまま被災者として行方不明になった。

2人目の私、タナベリナはかつて自分がシキシマミノリであったことをもちろん覚えていたけれど、周囲の誰もがそのことに気付かなかった。性的虐待を繰り返す里親の元で中学校を卒業しようとする最中に兵庫県南部地震に見舞われ、彼女もそのまま消息を絶った。

こうしてイシカワマサミが生まれて18年後、債権回収業者は彼女の名前をリストに書き加え、その翌年の春に東北地方太平洋沖地震が起こる。被災者として行方不明となった彼女は、その人生とともにすべての債務から見放され、結果としてわたしが4人目として緑の海を漂うことになる。

四人目の私の名前が思いつかなかったので、わたしはこの文章を草稿としてここに残しておくことにしました。

 

草稿 A.3

草稿 A.3をここへ記すには、余白があまりにも広大すぎて(なにせこのマシンのメモリが許す限りの余白がここには存在するのだ!)、私は気が遠くなってしまった。ゆえに私は、それを断念せざるを得なかったのだ。