鳰のような形をした僕の迂回路

My detour/diversion like a (little) grebe.

危険なメタファー

科学も文学も、現実に起こった事柄を一般化することはできないのだと思います。たとえば物理屋がやっていることは、「想像上の現象」を考えて、それらを一般化することです。こうして一般化された法則を足がかりにして現実の事柄を理解しようと努めるのが物理屋の仕事になります。現実の事柄をすぐ一般化する人がメディアに露出していたら、それはただの出まかせおじさんであり、科学者ではない気がします。
 
文学でも、現実の出来事を一般化することはできないのでしょう。現実にあるのは、個々の問題だけです。一般化しようとすると、詳細を取りこぼしてしまう。その詳細こそが全てであるはずなのに、です。ヘロドトスホメロスを思います。ヘロドトスは『歴史』において、現実の出来事をそのまま記述しました。そこに一般化の入る余地はなかった。これに対してホメロスには一般化の香りがします。それは、彼が詩を書いていたからでしょう。彼はフィクションという「想像上の現象」を描いていたからです。ここは先ほどの科学者のくだりと同様に、「想像上の現象」を一般化することは可能なのです。これに対して、ヘロドトスの『歴史』を一般化する試みは無謀です。
 
ホメロスは、起こりうることを書いた。それは端的に未来を書いたということでしょう。物理屋も、つねに起こりうることを考える生き物です。起こりうることから、一般化して法則を導く。この、「起こりうることを考える」という点で、物理と文学はよく似ています。物理屋であるぼくが文学に惹かれる所以です。